「男を見る目がなかった」ファーストケア

こんにちは、ファーストケアの松田です。

今日は自分の経験から少し書きたいと思います

 

私は、HPの「心の履歴書」にも書いたように30歳になった年に、ある男性と知り合います

そして、運よく私はその素敵な人とお付き合いをスタートすることができました

 

「私なんかが、イケメンで才能あふれる男性と付き合えるなんて!」と浮かれてました。

 

 

私は自分に自信がなく、特に容姿にはコンプレックスを感じていて腫れぼったい目が嫌でした

また、頭がいいわけでもないので恥じる場面も多く、どこか卑下してしまう癖があったのです

 

「そんな私が・・・・こんなキラキラした人と付き合える」

まさに王子様と出会った気分でした。

 

 

お付き合いは12年もの間続きます、そして結果「別れる」ことになります。

 

 

私の中で・・

理想は王子様のような人=憧れの人であり

憧れとは・・自分が持ち合わせてないものを持っている人です

だから、このお付き合いは自分の欲求を彼を通して満たしただけでした

彼の本来の「こころ」「人格」などの・・正体を見てはいなかったです。

 

付き合う中で、彼をパートナーとしてこの先もずっと一緒にいられるのか?と直感からくる疑問と不安も横切るのですが

女性ならではの結婚とか出産とかといワードに「執着」し、また付き合った期間(時間の経過)にもこだわっていました。

 

そうこうしている間、彼は常にモテていたし浮気も彼の中では罪悪感を感じないものに・・・

それでも私は手放したくないあまりに目をつぶって過ごしてしまいました。

 

彼は常に自信に溢れており自分を愛していた

だから、目立つことを好んでいて頭の回転の良さをや弁の立つ器用さを魅せる場が好きで惹かれる女性は少なくない

ただ、同性の敵も多かった

彼にも優しさはあったが「優しくしている自分が好き」なだけで本来の「思いやりからくる優しさ」には欠けていたと感じている。

 

彼は少し特殊な幼少期を過ごしてきている

それは、一見魅力的に聞こえる環境でもあるが母親の愛情は不十分だったのかなと感じられる点もある

今思えば「愛着障害」であったのかなと感じてならない

 

 

私は、彼を憧れから入り「好きだ」「愛してる」などの感情を抱くようになり

彼自身の正体が見えてきたころには「執着やこだわり、嫉妬」に囚われてしう

 

そして、それら全てが音を出して崩れだしたある日からとてつもない辛さが大波になって押し寄せて来た

 

私は「最悪な感情の地獄」から這い上がる為にジタバタと苦しんだ

 

 

自分の欲求をただ満たしただけの「勘違いの愛」を認めなくてならなかった

自分の自信のなさがまねいた失態を受け入れなくてはならなかった

親や周りに知られる恥ずかしいという羞恥心を認めなくてはならなかった

自分には男を見る目がなかったと認めなくてはならなかった

 

自分の未熟さと向き合わなくてはならなかった

 

毎日、吐きそうだった

 

 

 

そんな経験をしたとて人生の「過程」に過ぎない

それは一見惜しいようにも感じられるが有り難いものでもある

なぜなら、この失恋以前よりも「今」という瞬間と時間を新鮮に感じれているし、ありがたく思うようになった

 

「過程で学んだことを生かしたい」と思うことで感情に繊細になったのだう

日々のささやかな喜怒哀楽に、敏感になりより深く瞬間的に「感じる」ようになった、いや「感じるようにした」・・・

 

そして、あんな私が人生の結果ではなく「過程」であって良かったと思えている

 

 

最後に

私は44歳・・「結婚も出産もしたことがない」

いつか出来るかもしれないと思っているし、今現在出来ていないだけ

自分を卑下するつもりもないし、他人と比較するつもりもない

 

私は強くなったのではなくて、自分を少し知れただけである

それから、もう一つ

私は彼を完全に嫌いにはなれない

失恋という別れにおいて「吹っ切れる事」は大切だけど、嫌いにならないといけないという理由はないと思う

 

100%好きという気持ちが、今は10%になっただけ

 

人間の記憶に残されてる「思い出、愛情」を完全に消し去ることは容易ではないから

出来ない時は出来ない自分を認めて「~でないといけない」という思考の縛りから解放させて「楽」になることから始めたい

そして、いつか「新しい恋愛」が出来た時、その10%は5%になるかもしれない・・・

 

 

いつもここで私は

自分を知ること、自分と向き合うこと、

感情の一つである「幸福感」を感じるには、それがとても大切だと伝えたいのです。