「自分の存在価値」ファーストケア

こんにちは、ファーストケアの松田です

 

皆さんは

「自分が生きてる意味って何だろう?」とか

「自分の存在価値って何だろう?」とか

ふと考えた経験はありますか?

 

 

私はありますよ

「自分はこの世にいてもいなくてもいい、そんな存在なんじゃないか?」て

 

大して頭がいいわけではないし

才能を持っているとも思わないし

 

自分がいない方がきっと良かったこともあるだろうし

関わらない方が良かったこともあるだろうし

 

自分が、いてもいなくても世の中は変わらいし・・

 

そう思ったこと

ありましたよ。

 

 

そして今も

 

「自分がいてもいなくても世の中は変わらない」と思っています

 

だってこれって・・「あんた何様?」目線だからですね

 

「世の中を変えるほど努力をしてんのか?」ってことだし

「そもそも世の中を変えたいって思ってるのか?」ってことです

 

世の中を変えたいなら政治家を目指せばいいってこと

 

だから私は、世の中のことは変えたいと思っている人にお任せすればいい

と思うようになりました

 

自分の価値だの存在だのを見つけようとすると

勝手にことを大きく捉えてしまう

そして勝手に出来ない自分はダメなんだと捉えてしまう

そして、自分は必要のない人間なんじゃないかと勘違いを起こす

 

 

自分の存在価値は、

あまりにも普通の会話の中に存在するからつい見失いがちになるだけ

 

例えば

今日は会えてよかった、

愚痴を聞いてくれてありがとう、

今日は楽しかった、

一緒にいると安心する、

席を譲ってくれてありがとう、

今日のご飯美味しいね、

 

 

そんな日常にある何気ない一言の中に

「何よりの自分の価値」が存在していると私は思います

 

自分にも

お母さんがいて良かったとか

あの人に話してよかったとかがある様に

自分も他者から思われているものです

 

 

それでも、自信がなかったり気持ちが晴れない時は

 

「小さな誰かの助けになること」をやって見ましょう

 

例えば、

バスの中で年配の方に席を譲るでもいいです

玄関に散乱している靴を並べるでもいいです

 

誰かの助けになるかもと思えるものでいいです

※もちろん見返りを期待してやるものではないので、そこは心得ておいてください(承認欲求が強くなっては、本末転倒ですから)

 

また、自己満足に過ぎないと思われる方もいるかもしれませんが

 

自己満足と自己肯定感は直結しているところがあるので

 

誰かの助けになるかもしれい?と思える世話をやく

 

それだけに高揚感を得れたり、満足感を得れたり

 

そして「人の役にたっている」という実感は自尊心を強くします

 

自分の存在価値は

周りに耳を澄ませば見えてきます聞こえてきます

 

あなたは

スーパーパンでなくていい

ヒーローでなくていい

かっこつけなくていい

 

「あなたがあなたとして生きている」

それだけで十分に存在価値があると私は思います