「自分の概念で考えると鮮度が落ちる」ファーストケア

こんにちは、ファーストケアの松田です

先日、超高額な講習?コンサル?を受けてきました、なんと2万4千円!

 

・・対話型の講習というかなんとも変わったスタイルのものです

・・その方が有名なのかそうじゃないのかもピンとも来てない、私は知らない

・・知人の三回目の「お誘い」

 

そんな半端な情報でしたが悩んで悩んで悩んで

行くことを決意しました・・笑

(最終判断は自分の意志次第なので、いろいろ言い訳はしません)

 

結果、終えてみて「内容に比べやっぱり高くないか?」という感覚でいます ( ´∀`; )

私は欲があるので、払った金額が高額である以上、同等に近い付加価値を感じれないと少しモヤっとしてしまうのです

(金銭感覚は人それぞれですから・・私以外の人は納得しているかもしれませんし、安いと思っている方もいるかもしれません)

 

で今日は、その講習で一つ学んだことをザッと書いてみます

 

「自分の概念と他人の概念は違う」という題で行きます

 

人は相手の話を聞いているとき

聞こえてきたワードを自分なりに解釈し相手と照合していきます

話の途中「こんなことを言ってるんだよね?」と時折確認をとりながら・・

また、相槌やオウム返しも相手に寄り添い感を与えるので自然とやってしまうでしょう

そんな意識と無意識の中で私たちは「話の共有」を感じるような場を作りながら会話をしていきます

 

この「照合」するとき、

無意識でも意識的にでも「自分の概念」に当てはめていると言うことです

 

少し解りやすく伝えるなら

 

例えば

あなとの知人であるAさんが「私のお母さん、足を悪くしてね・・だからいつも大変でね、買い物は杖を使って行ってるんだ」

という話をしてきたとします。

 

物理的なものは会話の中から見えてきますよね、それだけで疑問は出てきます

・足は右左どっち?それとも両方?

・買い物は一人でいってるの?

・お店は近いの?など・・

 

でも見えない部分、ここで言うと「いろいろと大変」というワードですが

「足が悪いからいろいろと不便なんだろう」と感じて大変さを創造しますよね

 

ここに自分なりの「大変」という概念を入れてしまってませんか?

 

自分は足を悪くした経験もないけど、色んな知識と情報とで

自分なりの「足を悪くしたときの不便さ」をつくって創造で語ってしまうのです

 

何が不便で何が大変か?は・・個人で違いますよね

また、同じ足を悪くした人がいたとしても年齢や環境で「大変さ」は違ってきますよね

 

 

あとよくあるパターンで言うならば・・

上司が言ったことが部下に伝わっていないという場面で起きる思い込みという概念

 

上司は(それぐらい解るだろう・・)と勝手に思い込むことで伝達の言葉のワードを端折ってしまいます

すると部下は、質問や疑問があったとしても(気軽に聞けない、聞いたら叱られる)とまた勝手に思い込み

浅い会話で終了してしまいます

 

この2人の「思い込み」は別ものですが、ひとつひとつ拾って見てみると

 

上記例題からの例えばの解釈

・それぐらい解るだろう・・は誰かと比較して勝手に作った思考にすぎない

・気軽に聞けない、聞いたら叱られる・・は過去の経験からくる防衛にすぎない

 

一般社会ではこれらは「確認を怠った」と言われてるものに入りますが

 

ここで言いたいのは、それ以前に「相手の反応(例、表情)や言葉を受け取った時に感じるもの」

そこにある「感じた中にある疑問」を無視して、そのモヤっとした部分を自分なりの概念(解釈))に当てはめてしまい物事を進める傾向にあると、後になりズレが起きたことに「後悔」するという事です

 

最初の例題にしても同じことで

「自分なりの解釈は一方通行が多くなると、いつしか自分なりの概念となり疑問さえもわかなくなってしまう」

 

で、もう一つ伝えたいのは

「言葉や場面の鮮度は大切です」という事です

 

何でも後で聞くより、その場で聞いて解決しておいた方がいいという事ですね

 

もちろん、私も出来てる方ではありません

今回、高額な講演に参加してさらに深く確信したというか・・

もっと深いところに響いたので書いてみました

 

 

思うだけでなく

感じるだけでなく

「疑問」と「行動」を

新鮮なうちに・・ですね

 

最後に

・・私なりの伝え方で(文章)書いてみたのですか、わかりにくい方も多いかも知れません(汗)すみません(笑)・・