「鬼滅の刃」の魅力。ファーストケア

こんにちは、ファーストケアの松田です。

今日は、少しリラックスしていつもとは違うことを書きたいと思います(^^♪

 

それは「鬼滅の刃」というアニメについてです

やっと最近26話までは観まして、私なりの感想を書きたいと思います

 

 

 

最初は、「甥っ子達がなんだかハマっているアニメ」としか捉えてなく興味もあまりありませんでした

ちょうどテレビで放映され始めたとき、最初に目にしてしまったのが「無惨様が下弦を次々と殺している場面」でした

私は、その映像に衝撃を受けてしまい、きちんと観ようをいう気がしばらくは起きませんでした・・

「なんでこんな残酷なアニメが流行っているのか?」と少し悲しく思っていました。

 

やがて、TVやSNS、映画までもが「鬼滅の刃」を取り上げていき、それはますます熱を上げていきます

「なぜこんなにも話題になっているのか?」と私にも少しづつ興味が沸いてきて、きちんと観るべみかもしれないと思い始めました

そして、少し遅ればせながら・・無料配信で観れるだけではありますが26話までは拝見しました。

 

 

「鬼滅の刃」には、深いメッセージ性があると私は感じました、素晴らしいアニメだと思っています

では、箇条書きにその素晴らしさをザザーと書きたいと思います(※個人的な感想です)

 

●「鬼滅隊」の存在・・・この才能と力ある集団は、日本らしいなと思いました

なぜなら、小さいころ戦隊ものを見た方は多いと思うのですが、日本のアニメは「力を合わせる」「仲間」といった団体の正義の味方が多いのです

例えばプリキュア、〇〇レンジャー、ワンピースなど・・・

それに比べ海外は(米国)スーパーマンや、バットマン、スパイダーマンなど1人で立ち向かう勇者が多い「オンリーワン」の大切さを感じさせるアニメが多い

こういった文化の違いも垣間見れますが、今一度このコロナ渦の中「力を合わせる」「仲間」という言葉を再確認したいところだなと思いました

 

 

●炭治郎が、ピンチの時に必ず発する言葉「考えるんだ」というセリフ、とても好きです

世の中は便利になり、わからないものはすぐに携帯やPCで調べられる時代です

疑問に思ったものを一度自分の中に取り入れて「考える」という時間が昔に比べ端折られている気がする現代に、この一言は毎回心に響きます。「自分はどう思うのか?」「自分はどう考えるのか?」

自分の考えを大切にすることで、思考の癖や過去の経験から学ぶものや感じるものが蘇り、それがいつしか「考える力」となりアイデアや、生きる糧となるのかもしれない・・そんなところに気づかされるセリフです。

 

●善逸と師匠(桑島慈悟朗:じいちゃん)の関係性から見られる善逸を見捨てない愛情と「一つを極めるだけでいい」というセリフ

善逸を育てるじいちゃんからは、厳しくも見えるが絶対に見捨てない愛情があり、また弱虫な善逸を否定せず受け入れている姿と「一つを極めればいい」と今持っている力に合わせた深い一言が素敵でした。まさに「見守る子育て」に私には見えて心が熱くなったのです。

親子の関係性や距離感が少し変わってきた現代、少し良くない事例も増えています。例えば、親が心配がゆえに関わり過ぎて先に危機を回避してしまい、結果、子どもの危機管理能力が低下しているというもの、昔公園にあった遊具は危険だという意見からほとんど撤退されていますが、あの遊具から学ぶものはたくさんあったのです、「なぜルールを守らないと危ないのか?」を知り学ぶ場所だったのです。(追記、砂遊びは想像力を育てる、性犯罪者のほとんどが砂遊び十分に経験していないとうことを聞いたこともある)

もちろん時代の流れにより環境は変わり「危険性の多様化」はあるので昔みたいにいかないことも多いけれど、そこは大人たちが見守っていきたいものですね

話がずれましたが、このじいちゃんと善逸の「親子よりも親子らしい」関係性が好きですね

 

●胡蝶しのぶさんが鬼に対して発した言葉「人の命を奪っておいて何の罰もないのなら殺された人が報われません」と言うセリフ、心が熱くなりました

無差別的な殺人が増えている今の日本につきささる名台詞だと思いました。

「むしゃくしゃした、誰でもよかった、、」そんな理由から衝動的に行われる殺人があってはならない、まだまだ生きたかった人が突然命を奪わられるようなことがあってはならない・・

加害者と被害者の間には、理由も意味も存在していないのに、加害者の一時的で感情的な欲求を満たす対象に「人の命」があってはならない・・

日本の人権と法律、法廷とは何か?・・今一度考えさせられるセリフだなと思いました

 

 

●鬼になった者たちが死を迎える時の「さみしい心」

鬼になる前は「人」であった、親がいたり兄弟がいたり家族がいた、しかし、さまざまな環境の中で「愛」を感じることが出来なかったり、すれ違ってしまったりと何らかの「孤独」を感じる経験をしている。

寂しさや不安、恐怖といった「孤独」からきっといつも「助け」を求めていたのだろう、でも誰も気づいてくれないと答えを出してしまい殻に入っていく・・そして間違った「助け」を手に入れてしまった、それが鬼として生きること・・・

そんな風に私は感じます、だから鬼が死ぬときは少し虚しく感じます

 

 

まだまだ、小さいところを拾って「私の感じた鬼滅の刃」を書きたいところですが・・

炭治郎と禰豆子の兄妹愛とか、伊之助の男っぽさとか、とか・・

何せ26話までしか見ていない初心者ですので遠慮してこの辺で終わります( ´∀` )笑

 

 

コロナ渦の中「鬼滅の刃」が話題となり社会が活性化しているニュースを見ると素直にうれしく思います。